1944年3月3日、東京生まれ。東京外語大学外国語学部スペイン語科卒。

1964年、20歳になると同時に大学を休学し、少年のころからの夢であった旅に出る。メキシコを経てアメリカ、ヨーロッパ各地を2年間放浪。帰国後、ベトナム戦争、学園紛争の時代背景のもと、路上や反戦集会で自作のメッセージソングを歌い始める。初シングル「ジャン/青い面影」を69年にリリース。71年、初アルバム「回帰線」を発表。話題作となるが、都会を離れ、山の中での実験的コミューン生活を始める。73年、2nd「南正人ファースト」発表。山の家が火事で全焼し再び東京に戻る。”旅をしろ”という天からの声を聞き、北海道から九州までの全国ツアーを始める。以後、年間100本は超えるライブを30年続けている。88年、参加者が10,000人に及ぶ「いのちの祭り イン 八ヶ岳」が8日間にわたり開催され、音楽総監督及びトラブル処理係として獅子奮迅の働きをする。91年、8月にも「いのちの祭りin六ヶ所」をプロデュース。その後、アジア各地を旅し、97年にタイのチェンマイにて第一回となる日本とタイの草の根コンサート「ジュビリージャム」を実現。日本からも500人以上の人が参加。2002年にも第2回をプロデュース。2004年春、10枚目のアルバム「SONGS~歌たちよ~」を発売。また、2010年より毎年2月にタイのチェンダオにて「シャンバラまつり」を開催している。開催8回目となった2017年には、約50か国の2500人を超える人々が参加した。2018年には9回目を迎える。2017年には73歳になったことを記念し、73とナミをかけて、7月1日~3日の三夜連続のライブ「NAMI's DAY」を原宿クロコダイルにて開催。これと同時に、かつて出版された本の中の一つである自伝的作品「KEEP ON!」が再版された。


更新情報

シャンバラまつり後記

いやー、どこから何を語ればいいのやら、ともかく今年もすごい祭りでありましたと、まず言っておく。来場者数は、3500人ほど、のべ63カ国からの参加者で盛り上がった10日間だった。


エピソードその1

<平和のラップ>

特筆すべきことがあった。起きた。体験した。

それはほんのひょっとしたことが始まりだった。もともと1時間一曲という長い詞の「平和のラップ」という歌を3番までの短い詞に書き換えれば、他の言語にも訳しやすいと考え、3番までにまとめた。ちょうどその場所に韓国、台湾からの友達がいて韓国語、中国語に訳し始め、あっという間に揃った。やったーーー!!!これはすごいことになりそうだ。さあ。翌日からは時間を見つけては、それぞれに練習し、本番ではタイ語、日本語、英語、韓国語、中国語が揃った。

平和への思いが、いろんな言語で同時に歌われるなんて、、、全く予想もしていなかった。本当に面白かった。楽しかった。泣けた。あの瞬間に居合わせていただいたことに感謝するしかないね。よかったよかった。来年はもっともっと増やしたーい。


エピソードその2

<ついにニコン大王がコンセントを抜いた>

※ニコンという人物はこのキャンプ場の最高責任者なのである。最終日から3日ほど前の夜のステージでの出来事。タイのグループが熱演している真っ最中に何の前触れもなく、いきなり照明と音響の電源が切れた。ナ、ナ、ナニが起きたんだアー!!

原因はすぐにわかった。約束の10時になってもステージの音が止まなくてうるさいから頭にきたニコン大王は、コンセントを引きちぎったのだった。

コンセントを抜けば、入れれば戻るが、大王が力任せにシールドを引きちぎったため、壊してしまった。ひどいことをする。信じられない。頭おかしい。大の大人のやること?


第一回目から九回目まで会場を使わせてもらったことには感謝するが、今回彼がとった行動は見過ごせない。さらに、ほかの場所を探していると知るやいなや、その土地の持ち主に対して具体的な数字をあげ、絶対それ以下では貸してはならぬと脅しまでかけていることがわかった。

ということで、会場をチェンダオのどこに移すかは、ニコン大王からの嫌がらせを避けるため、後日に発表します。


日程は決まってます。

シャンバラまつり vol.10

2019年2月7日(木)〜16日(土)


2018.3.5 チェンマイにて

南正人


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Report after the festival by Minami Masato


This year about 3,500 people from 63 countries enjoyed the 10days festival. Thank you so much!


Episode 1 < Peace song >

When I was thinking about my song (Heiwa no rap), I had an inspiration.

Can't we sing this peace song in various languages?

At the corner of the dormitory there were some people from Korea and Taiwan. They cooperated and soon both version was made up. 

On the main stage on the last day of festival, we finally could sing in five languages, Japanese, Thai, Korean, Chinese, and English! It was so exciting to sing one song in many languages!! I almost shed tears. I think this never happened before in any festival through out the world. I hope many more languages will join next year.


Episode 2 <King Nikom pulled out the plug!>

Mr. Nikom is the top person of this camp site. One night, three days before the last day when Thai group was in the middle of the performance on the stage, sound and light suddenly stoped without any notice. What happened!!?

Soon we found out Nikom did it. He said we didn't keep the promise of time. It was just before 10 o'clock not so late. 

He insists so much about the right to stop the music. 

We couldn't stand any more about what he done to us.

So we decided to say bye-bye to Nikom and to move to a brand new camping place in Chiang Dao. We are now very happy and excited, thinking and imaging how we will make nicer festival in a new place.


Thank you for joining us and see you next year!!( next year shambhala festival is 2019.2.7〜2.16)

HEPOPA! 


Minami Masato